第1部:基調講演

超高齢社会における地域社会のあり方

浜 矩子 氏同志社大学大学院
ビジネス研究科教授

■地球の時代は地域の時代

このグローバル時代では、ヒト・モノ・カネは容易に国境を越えていき、国家の存在感は希薄になりつつあります。グローバル時代が我々にとってよき時代になるためには、地域社会や地域共同体が既存の国というものに封じ込められることなくもっと前面にでることが最大の鍵であると思います。

■地域社会というのは何のため、誰のため

地域社会はそこに住んでいる人のためであり、その場所を拠点として伸び伸びと自己展開していくことができる場として、存在意義があるわけです。
しかし政府が掲げる「地方創生」からは、地域の住民のためという発想は感じられません。誰のための地方創生であり経済成長なのか、考えていく必要があります。

■権限委譲の本当の意味

民主主義の本来のあるべき姿は、全ての決定が市民に一番近いところでなされることです。市民レベルで解決できないことを中央・国家にその権限を委託することが本来の「権限委譲」の意味です。いまの地域社会は多くの権限を国家に委譲し過ぎているのかもしれません。地球の時代は地域の時代だということをしっかり受けとめて、この「権限委譲」という言葉の本来の意味をもう一度、確認し直す必要があると思います。



■ギリシャ人に学ぶべきこと

今、ギリシャでは厳しい状況を乗り越えるべく、地域社会において地域通貨というものが普及しています。地域通貨は、本当に地域の経済が行き詰まったときには力を発揮するということが過去において検証されています。日本にも地域通貨といわれるものはありますが、地域限定商品券、お買い物券的な域を出ていません。もう少し本格的な通貨として価値と存在感を持つ地域通貨が日本で芽生えてきてもいいのではないかと思います。



■2人の賢人から学ぶべき2つのこと

中国の孔子は『論語』の中で、人間は齢70ともなれば「心(おの)が欲するところに従えども、矩(のり)をこえず」という心境に到達することができると言っています。思う存分自分の夢を追求していくけれども、欲のために人を踏みにじったり傷つけたりという「矩」を超えるふるまいはしないということだと私は解釈しています。
アダム・スミスは、『道徳感情論』の中で、「経済活動を営む人間たちとは、共感性を有する人々であるはずだ」と言っています。人の痛みを我が痛みのごとく受けとめることができて、他者の痛みに思いをはせて涙することができる。そういう人々が営むのが経済活動であるという意味です。
孔子もアダム・スミスも、大人の感性を持っている人たちが担い手である経済社会によき経済社会の姿を見出しているといえると思います。経済社会をまともな方向に持っていくために必要なのは「傾ける耳」「涙する目」「差し伸べる手」だと思います。この道具を持っている人々が、まさに大人になりきった人々であるということです。それが高齢化社会というものが持っている貴重な要素であり、それをどうやってうまく発揮していただけるような環境をつくっていくかというのが、地域社会のあり方という意味で大きなポイントだと思います。