被災地の復興に向けて

菅野 典雄 氏飯舘村長

■飯舘村の取り組み

飯舘村は全村避難になってしまい、2つのことを考えました。

1つは、避難するにしても全くのゴーストタウンにはしたくないという思いです。室内は測ってみたら放射線量は大変低く、特別養護老人ホームのお年寄りを遠いところに移動させ具合を悪くしたり、死亡したりというのを見ていましたので、国とかなり厳しいやり取りをし、職員は避難先から通うということで老人ホームなど、9事業所を残させていただきました。

もう1つは、後発の避難で県内の避難先は既に全部埋まっていた中でも、職員に村から1時間半程度で避難先を探させました。結果、いま村から1時間以内のところに約90数%が避難をしています。ですから仕事を辞めないで済む方がいるだろうし、転校をしなくてもよい子供もいます。

今回の避難にあたっては、放射能のリスクと生活の変化によるリスクとを、バランス感覚を持って柔軟に考えながら対応することを心がけました。結果的にどうなのかというのは、後世に判断を委ねるしかありませんけれども、私は私なりに、一人ひとりの村民のことを考えて避難への対応をさせていただいたと思っています。

■震災後の課題と新しく生まれた交流

復興再生の課題の1つは、原発の災害は普通の災害とは全く違うということに、国民の合意をもらっていくことが大切ではないかと思っています。普通の災害は心が結束します。しかし放射能の災害は、心の分断がつきものです。家の中でも年寄りと若い人たちは当然違います。同じ地域の中でも線量が高い低いでまた違ってくる。帰る時期が違う。賠償が違うなど、まさにそれが原発事故の大変なところです。

もう一つは、 "1ミリシーベルトの呪縛"を取らないと福島の復興は成らないと私は思っています。1ミリシーベルトにならないと駄目だという方もいて当然ですが、あちこちで核実験をやっていた40年前には、外に出るな、黒い雨が降る、帽子かぶれということがあり、間違いなくあの時のほうが今より大変なはずです。福島の復興を考えた場合に、駄目だ駄目だという話だけでは復興は進まないのではないかと思っています。

交流については、震災の年の3月19、20日と栃木県鹿沼市に避難ということでお世話になりました。それ以来ずっと交流をさせていただいて、本当にありがたいです。さらに住民、あるいは学校などが、いろいろなつながりを持っていただいています。

いろいろな義援金もいただいて本当にありがたいと思っています。いろいろな人たちの心をいただきました。

いざ逆になった場合に自分たちがそれをできるかということですが、それをできるだけ村民に伝えていくのが私の首長としての大切な役割ではないか。そんな思いでいます。

■飯舘村のこれから

東日本大震災はいまだかつてない大地震でした。そして大津波、そしてあり得ない原発事故。この3つがまとめて来たのですから、復興に関してはまず100点の答えは出ないと思っていただくことが大切だと思います。特に福島県は原発事故ですから、ベストではなくベターに向かってみんなで力を合わせ、知恵を出し、場合によっては我慢をしていく。そうでないと福島の復興はなかなか厳しいですし、村の復興も厳しい。

2つ目は、どこに行っても、どんな時にも必ず「何か応援できませんか」と言われます。ここが日本人がほかの国に誇れるところです。震災に遭って、そういう気持ちを改めてありがたく思っています。その時には、原発事故の全村避難というのを忘れないでくださいとずっと言ってきました。

3つ目は、災害・原発事故にあってしまったわけですから、残念ながら元には戻りません。そう考えて、このことを1つの糧にする。そういう前向きの心が必要だと思っています。例えば、天皇・皇后両陛下が、飯舘村に行ってみたいということでお越しいただきました。避難がなかったら絶対にあり得ない話です。村づくりも当時一生懸命にやっていましたけれども、避難に遭わなかったらできなかったということを1つでも2つでも進めていく。そう考えていけば、東北はいずれ日本の復興のモデルとなり、東北に対する全国民の思いをずっとつなげていけるのではないかと私は思っています。

■菅野飯舘村長からのメッセージ

この原発事故から私たちが何を学んでいかなければならないかということです。これを忘れては、私たちの、あるいは福島県の大変さはただの無駄花になりはしないかと思っています。何を学ぶかというと、人それぞれあるだろうと思うのですが、もっと便利に、もっと豊かに、もっとということで戦後70年上を向いて来たわけです。これからも当然それは必要でしょう。しかしこれからもみんなでそれを言っていけば、またどんどんエネルギーが必要になり国の借金が増えていくということではないでしょうか。

原発事故から学ぶことは、国家として次の世代にできるだけ迷惑をかけない、ツケを回さない、軽くしてやるという考え方の中でやっていかないといけないということだと思います。それが福島の原発事故から日本国民に訴えていくことの大切さではないかと思っています。