個人だけでなく地域を変える

―訪問看護のパイオニアである秋山さんが、訪問看護や地域に密着した「暮らしの保健室」の取り組みをされるなかで、地域がかわったと思うことはありますか。

訪問看護をしていて、苦労はあったけど無事に見送れたという方は、こちらからボランティアにお誘いしても、「やってみようかな」といってくださいます。見送って終わりというのではなくて、終わってもこれからまた新しいつながりが始まるという感じで、「何か手伝えることがあったら声をかけてくださいね」と逆にご家族の方から言われたりします。そうした関係の中で地域にそういう人をたくさん増やしていければ、地域を変えることができるのかなと思っています。


この地域は民生委員さんがすごくがんばってくださっているのですが、その民生委員さんたちが在宅医療でご家族を見送ったりしています。その体験をもとに、「ちゃんとチームを組めたら、おうちで最後までというのもあるよ」ということを自分の実体験も踏まえて紹介してくださっている方が何人もいらっしゃるんですね。

また、「自宅で最期まで看るのは都会では無理でしょう」とよく言われるのですが、都会だってあきらめなくてもいいと思っています。神楽坂周辺の方たちには、「この辺の地域はそういう人がたくさん支えてくれるから最後まで家で看れるよね」というのがなんとなく、60~70代ぐらいのちょうど介護をしている年代の方たちの間に広がっています。この間もクラスメイトと話をしていたら介護の話になり、うちはこうやって見送ったのよと言ったら、「そういうことができるんだ。また相談するね」と言われたそうです。

専門職でなくても、そうやってお仲間同士で情報交換しているわけですよね。そういうネットワークが大事なのではないかと思います。「何かあったら早めに相談するからね」とまたその人たちも言うわけですよ。だから、長年同じ地域で活動を続けてきて、そういうところに町が変わっていく手応えを感じています。

それから、18年前にお姑さんを見送ったお嫁さんが今度は自分の具合が悪くなって、つい最近、相談の電話が入りました。それも区報で「暮らしの保健室」のがん相談をみて、名前が懐かしかったから相談したということでした。ちゃんとしたケアをきちんと提供していたら、それは点のようだけど、きちんと根ざして面になってつながっていくという感じは非常にしています。

困ったときに、何してくれない、あれもない、これもないという「くれない症候群」ではなくて、ないところにつくり出していく。ないからだめではなくて、「一緒にやりましょう」と声をかけていく。そこでまた新しい動きが生まれてくる。それがやってよかったなという思いになってくだされば、人は変わるのではないですかね。いい形での新しい変化だと思うので、そうやって人がつながっていくと、また別のところで別の輪が生まれていくので、とてもいい流れになるのではないかなと思います。