【書籍】神様のカルテ2

「神様のカルテ2」

  • 著者:夏川草介
  • 定価:657円+税
  • ISBN:9784094087864
  • 判型:文庫
  • 頁:384頁
  • 発刊:2013年1月
  • 発行所:小学館文庫
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本書紹介


この小説は「神様のカルテ」「神様のカルテ2」「神様のカルテ3」と、単行本としてシリーズで出版され、その後いずれも文庫化されている。また、1作目は2011年に映画化され、2作目の「神様のカルテ2」は今年2014年3月21日から封切り上映される。そこで、ここでは「神様のカルテ2」を中心に紹介する。
作家、夏川草介氏は、1978年生まれで、現職の医師でもある。ペンネームの由来は、作家が夏目漱石と芥川龍之介のファンであり、「草枕」を愛読することであると言われている。個性的なペンネーム、例えば「ああだ、こうだ」や、債券ディーリング時の「yours、mine(売った、買った)」に由来する幸田真音氏、あるいは古くは「くたばってしめえ」の二葉亭四迷などと比べると、単純で分かりやすい。
夏川草介氏の作品のモチーフは、病院に関わって生きる人々の、逞しさと優しさ、未来への希望である。今日なお、医療現場、特に救急医療の現場は、医師やコ・メディカルの人々の献身的な労働により、かろうじて支えられている。そして時折、救急病院の患者受け入れ困難な状況のため十分な治療を受けられず、患者が死に至るケースが生じたり、また逆に、医師や看護師などの長時間労働や深夜労働、モンスター・ペイシェントの不当要求などによる過労の結果、不幸が生じたりすることがある。本作品の中でもそのような多忙を極める深夜の病院の様子の一部が、随所に表現されている。しかし、その一方で、病のときこそ、その人がいてくれたことに、あるいはともに生きてきたことに、喜びを感じる人々。いつも患者を看取り、見送る医師をも感動させるが如く、いかに死ぬべきかを、示して去って逝く人々も描かれている。それは生き抜くことへの大切なメッセージともなっている。
豊かな自然に恵まれた信州、松本市の本庄病院を舞台に、栗原一止医師を主人公として、医療関係者やそれを取り巻く人たちの物語は展開する。大学病院での高度先進医療の臨床や研究に従事し医師としてのキャリアを究める道を歩むか、または身近にいる医療を必要とする多くの人々のための道を歩むか、前作で描かれた主人公の迷いは、今はない。「この町に、誰もがいつでも診てもらえる病院を」つくるため、地域医療に自らの生涯を投じた医師たち、「医師の話ではない。人間の話をしているのだ!」と迫る医師。彼らを支える看護師や検査技師たち。また、小ぶりの梁山泊を思わせる御嶽荘には、栗原一止とその細君ハル、絵描きの男爵、大学生の鈴掛君が住み、人生の希望と絶望についての深刻な会話が、時に小気味よいタッチで表現され、ほのぼのとした雰囲気を醸し出す。
入院患者同士の関係、それを見守る医師の姿も興味深い。様々な事情の中で、一止は治療の指示を守らない入院患者に対して、「1日5回、病院の1階から5階までの階段昇降をしてください」と言う。
「大岡裁き」の如き入院患者に対する指示には、思わず「我が意を得たり」と唸ってしまう。まったく別の事情で、しかし健康の維持・改善という点では共通の理由で、筆者も勤務先の事務所のある5階まで階段での上り下りを励行しているからである。もっとも、健康人である筆者にとっても、1日5回の階段昇降はほぼ不可能であり、「療養の方法その他保健の向上に必要な事項の指導」(医師法)が適切に行われているか、はなはだ心もとない。しかし、クライマックスを成す医師とコ・メディカルたちの一大イベントもそうだが、「治療をするだけがわれわれの仕事ではない」との医師の良心には深く頭を垂れずにはいられない。法律の立ち入るべきでない世界が、確かにそこには存在する。
さて、再び装いも新たに映画「神様のカルテ2」がやってくる。前作の映画「神様のカルテ」では、子どもに未来への希望を託すとのメッセージを感じることができた。今回の映画「神様のカルテ2」ではどのようなメッセージが出されるのであろうか。
――作品を読み終えて、心地よい涼風が心の中を過ぎ去った。


(H.N.)



本書の構成


  • プロローグ
  • 第一話 紅梅記
  • 第二話 桜の咲く町で
  • 第三話 花桃の季節
  • 第四話 花水木
  • エピローグ