第2部:特別鼎談
被災地の復興に向けて
立谷 秀清 氏相馬市長
福島県市長会会長
■相馬市の取り組み
震災後、相馬市は「次の死者を出さない」ため各種取組を行いました。被災者の医療支援、被災者の経済自殺を防ぐため弁護士等による無料法律相談、仮設住宅での孤独死防止のため組長・戸長による声掛け、リヤカー部隊による買い物支援と見回り、さらに晩のおかずを配りながら孤独死する人がいないように見て回ったりしています。おかげで相馬では孤独死は出ておりません。また、被災した次の年に完成した、被災した高齢者のための共同住宅「相馬井戸端長屋」では、プライバシーを守りながらも1日に1回は共有スペースで皆で食事をしてもらうことにしているので、食事に出て来られない人がいると、何かあったのではないかということになります。この「相馬井戸端長屋」は国土交通大臣表彰を受けました。
震災で私が学んだのは、人は1人では生きていけないということです。コミュニティこそが災害対応の非常に大きな力になるということを勉強しました。
放射能対策としては、相馬の子ども全員に外部被ばくと内部被ばくの検査をしています。そのうち、外部被ばくについては最初の年に1.6ミリシーベルト以上の子どもが81人いましたが、去年はゼロになりました。そして長期的には1ミリシーベルト以下にという国の数値目標がありますが、相馬市では今年中にその目標を達成すべく努力しています。そういう明確な方向性を持って除染や生活指導をしています。たぶん今年は全員が1ミリシーベルト以下になっていると思います。
もう一つ大事なことが、放射能教育です。外部の有識者による中学生を対象とした講習会を実施し、その後、将来結婚、出産の不安がなくなりましたかというアンケートを取りました。解消されないというのが1割、よく分からないというのも3割ぐらい。非常に大きな問題です。しっかり教育をしていかなければなりません。
放射能から人体を守るという観点で努力をしてきたつもりです。この経験は、福島県としてある程度誇りに思っていいことだと思うし、このことをしっかり後世に伝えていく必要があるだろうと思います。
■震災後、新しく生まれた交流
震災の次の日からいろいろな支援をいただきました。支援していただいた市町村や会社を、紙にプリントアウトして市役所の壁に貼っておきました。震災の年の7月末に福島県の会津と新潟で洪水があり、リストを見ると南会津町からも、新潟県長岡市からも支援をいただいていました。南会津町長と長岡市長に連絡したところ、自分の所は大丈夫だが、その近隣で金山町と只見町、三条市が大変ということなので、それぞれに水とカップ麺を送りました。三条市とはそれが縁で交流が始まり、防災協定を結びました。
人は一人では生きていけないと言いましたけれど、義理を返す、お世話になったことについては忘れないで、お返しする、そういうことが地域間交流につながっていくわけです。相馬では「中間報告」という震災の記録集を毎年発行しています。それは支援してくださった全員に送らせていただいて、あなたの支援のおかげでこうやってみんな頑張っていられますよと。そういうことがこれから大きな力になっていくのではないかと思っています。
■福島県・相馬市のこれから
いま我々は今回の震災、特に原発の問題からどうやって脱却するのかを考えていくのが一番の問題だと思います。そのうえで、原発事故についてはしっかりと検証し調査すること。それも人体への調査をすること。きちっとした実績を積み上げ、しっかりとそれをアピールしていく必要があります。
そして少なくとも1号機から4号機、あとは5、6までは廃炉にするわけです。1号機から4号機までの廃炉はデブリという固まりが下にたまっていて相当な技術が必要です。これは福島発の人類に対する技術提供というかたちで残していく必要があるだろうし、そのための研究もしっかりしないといけないと思うのです。福島の使命だと思いますし、福島県民の幸福の大前提だとも思うのです。
産業も何を目指したらいいかというのは非常に悩ましいです。被災県で岩手、宮城とは違うということを考えた場合、福島県としてのプラスαを持っていかないといけない。それは教育だと思います。原子力教育だけではなくて全般的な学力向上も含めて教育で優位性を持っていかないと、本県の将来はないだろうと思います。私はいま目の前にやれることがたくさんあるような気がしますので、それを一つひとつ解決して乗り越えていくことではないかと思っています。
■立谷市長からのメッセージ
私から申し上げることがあるとしたら、やっぱり災害には負けてはならんということです。負けないという気持ちを持つことだと思います。被害者意識の固まりになってしまったのでは何も進まないということです。負けないという気持ちを持って頑張ることが大事ではないか。相馬はそうやって頑張って来ましたし、これからも頑張っていきます。皆さんにもそのことをお伝えしたいと思っています。