パーソナルなオーダーメード・サポート

―現在は、社会保険のような防貧的な制度と最後のセーフティネットとしての生活保護制度の大きく2つのネットがあるわけですが、それらが不安定になっている中で、さらにセーフティネットを重層化していくという議論がありますが、具体的にどのような議論がなされているのでしょうか。

生活保護制度は戦後ほとんど改正されていなくて、いろいろな課題も抱えています。受給者が増えていることもあるし、若い世代の受給者も増え始めている。しかも、貧困の連鎖も発生している。これらに着目して、一人一人が持っているプライドや尊厳を回復し、結果的には自立していただくこと。

これまでのような無理に就労させる、あるいはひたすら保護するという形ではなく、本人の主体性を引き出せる支援が必要です。そのためにも、きめ細かいパーソナルなオーダーメードのサポートをする仕組みをつくっていこうというのが基本的な考え方です。

そういうきめ細かいサービスやサポートになると、今までのような自治体のケースワーカーさんだけでは、とても手が足りないので、民間のNPOやいわゆる社会的企業と言われている方たちに参加、協力いただき、自立の支援を組み立てていこうというのが中核になります。

日本の社会は古来より、地域でいろいろな助け合いの仕組みがありました。まさに村の知恵の中でいろいろな助け合いをつくってきました。

例えば医療保険にしてみても、九州のある地方が、国からの要請がなくても村にお医者さんを呼ぶために住民がお金を出しあってお医者さんを雇った。これが日本の今の国民健康保険のひな型になる。当時の政府が、これを逆に全国の制度として広めていったらいいのではないかというかたちで、医療保険が定着していくことになります。

こういう地域の助け合いがあったわけですが、その後、市場経済の広がり、社会保障の広がりの中で地域の相互扶助のようなものはだんだん弱くなってしまったわけです。ところが、市場でできないことや政府が対応しきれないことが出てきて、再び地域の中でさまざまな助け合いをしようという動きが広がっています。

私も各地でこのようないくつかのテーマ、例えば引きこもりの子どもに対するサポートや、子どもたちの成長を支えるNPOを経営されている方にいろいろ話を聞きに行く機会があります。一度は弱くなってしまった地域の相互扶助の仕組みをまた新しいかたちで復活させよう、新しいものをつくろうということで、いろいろな取り組みが行われていると思います。

また、今回の東日本大震災のような大きな災害をきっかけに、地域の助け合いの仕組みがあらためて必要になったということで、そういうものが再生するきっかけにもなっていると思います。これからは市場経済で買えるものだけ、あるいは中央政府が行うお金の保障だけではなく、地域の互助、きめ細かい、しかし昔のように村人だけで閉じたものではなく半分開いたような、ウェルカムですよというしっかりした互助の仕組みも期待できるのではないかと思います。

リスク社会での教訓

―最後に、地震をはじめとして豪雨や竜巻など、多くの自然災害が近年発生していますが、こういうリスク社会においてどういう課題があるのか、駒村先生のお考えを聞かせていただけますか。

日本の戦後の時期だけを切り取ってみると、1960年から90年ぐらいまでの間は経済成長も非常に高く、しかも1000人以上の方が亡くなるような大災害はない時期だったわけです。しかし、日本の歴史をもっと長く見れば、やはり日本はある間隔で大きな災害が発生する、もともと自然災害の多い社会だったわけです。

したがって、変な言い方ですが、長い歴史から日本社会が直面する自然災害のリスクは普通の状態に戻ってきたと考えたほうがいいと思います。むしろ、戦後間もない30年間ぐらいは、たまたまハッピーな時期だったと思わないといけないと思います。自然災害は不確実問題ですから、生活の中で1つ不安要素にはなりますが、それに対応する準備は市民もやらなければいけない。

ただ、寺田寅彦も指摘していましたが、日本人はすぐ忘れてしまう。すぐ忘れてしまうところにまた日本人のよさがあるのかもしれませんが、やはり今回のような、2011年の大きな悲劇を忘れずに社会の仕組みの中に組み込まなくてはいけない。少なくとも社会のリーダーである人たちは、原子力発電所もそうですが、「想定外」などということで制度をつくってはいけないと思います。日本はこういう国なのだと、そのよさも悪さも我々は受け止めなければいけないと思います。

日本人は口にすると縁起が悪いとか、考えること自体、想定すること自体がいけないような発想があるのです。しかし、一定のリスクに常にさらされている社会としては、こうした考えはやはり誤っているのではないかと思います。昔のように大きい災害が起きて家が壊れたとしても限定的な時代とは違い、科学技術が進歩すれば進歩するほど被害が大きくなっていくわけです。こういう社会になってくれば当然リスクについては、常に考えなくてはいけないですし、対応できなかったリスクについて後から検証できなければいけないと思います。

国会の事故調査委員会でも触れられたかもしれませんが、今までの日本の村社会モデルの「いい部分」もあったと思います。しかし、一方で、自分たちが対応できなかったことも「村」の掟で表に出さないことから様々な問題が派生してしまっているのではないかと思います。日本社会の「いい部分」とは、お互いに立場が変わったら助け合う、長期的な人間関係を大事にする部分。これは残しつつ、教訓はちゃんと反映できるような、忘れ去ってしまえばリスクは消えてしまうという発想ではなく、反省すべきものはちゃんと表に出せるような社会にしていかなければならない。両立するのはなかなか難しいかもしれませんが、そこは乗り越えていかなければいけないと思います。

―ありがとうございました。