第一部「人を助けるとは」-1
駒村氏:慶應義塾大学の駒村です。最初に、この『社会のしんがり』の本について、簡単にお話しします。慶應義塾大学における全労済協会の寄附講座で講義いただいた、まさに「しんがり」というような活躍をされている、各地のさまざまな困窮を抱えている人を支えている人々の活動を再現したものです。私の専門は社会保障、社会政策と言われている分野ですけれども、年金や医療、介護などの制度がどうなっているのかを主に研究してきました。
しかし、ここ10年ぐらい制度だけではどうも実際の人々の生活がわからない、社会保障はどのように機能しているかわからないということで、さまざまな地域に伺って、その地域の貧困、困窮と闘っている人たちと会うことができました。そういう人たちのリアルな声、物語を聞くことができ、これは私だけにとどめておくのはもったいない、学生と共有をしたいということで、全労済協会の寄附講座を持たせていただきました。
延べ50人近いさまざまな分野のしんがり、社会を支えるべく頑張っている人たちのお話を聞くことができました。そのうち11人の、特にご紹介したい方、あるいは現場で深く一緒に勉強させていただいた方をご紹介させていただこうと思い、その講義をまとめたものとして『社会のしんがり』という本を新泉社から出版させていただきました。
玄侑氏:こんにちは。坊さんが経済学の先生に呼ばれると思っていませんでした。座禅などはGDP(国内総生産)ゼロですから。私がこういう場に呼ばれるということは、おそらくGDPじゃない経済指標が求められてるということかと思います。
この本は非常に興味深く、感動して読ませていただきました。制度の枠を超えて個人的なパワーというのはもちろんあるでしょうけれど、使える制度をとにかく使って、そこからはみ出してもいいという形で、こういう活動が起こっていることに心強さを感じました。日本の国内でこの本が行政の教科書になりうるんじゃないかと思いました。今日は今後の世の中のあり方を含めてお話できるのではと思って楽しみにしています。
駒村氏:玄侑さんにご紹介いただいたように、制度の枠組みにとらわれずに闘う、制度を利用しつつ間を埋めながら活動されている方がいる。この動きというのはここ10年くらいどんどん全国に広まっていて、政府を動かすという展開まできています。
ただ、制度と現場の活動がなかなかマッチしないというところはどうしても出てしまいます。難病にしても障がい、高齢、貧困にしても、制度が対応するためには何らかのラベルづけが必要になるわけです。あなたは難病だから、あなたは障がい者だから助けてあげると。しかし、制度が決めている定義の中に入っていない人、つまり障がいの程度、病気の程度あるいは定義している病名から外れていると、どんなに困窮な状態になっていても支援の手が届かない。こういった状態を地域で目にした人たちが「何とかしなければいけない」と活動されてきた。この人たちがはたして特殊な人たちなのか。全国に実は隠れたしんがりがたくさんいるのではないかと、私は思います。
ただ、自分たちの活動が取り上げられるきっかけがないだけではないのか、あるいは参考になるさまざまな情報が足りないだけではないのかなと思っております。よく議論になるのは、本の中でも紹介していますが、例えば自治体の福祉の職員には、「うちの地域には自ら助けてと言ってくる人はいないから、困ってる人はいない」と思い込んでいる人がいるわけです。
本で紹介している人は「いや、そうではないんだ、助けてと言えないけれども、かなり困っている人もいるはずだ」と言います。助けてと言ってこない人に対してどう向き合っていけばいいのか、人を助けるということは一体どういうことなのかを、講座を通して考えてきたところです。助けてと言ってこないけれども困ってる人をどう見ればいいのでしょうか。
玄侑氏:私たちの親が子どもに繰り返し言ってきた言葉は「世間に迷惑をかけない、人に迷惑をかけるんじゃないよ」でした。頭の中に世間というのができてしまって、迷惑をかけることに対する恥の意識がある。それが大きいように思います。本当は助けてと言えるのが自立していることだと思います。
河合隼雄先生(心理学者、元文化庁長官)は依存できることが自立していることだという言い方をされています。日本人の場合、西洋的な意味での個人が成立していないのではないか。世間の関係性の中に、いわば仏教的な縁起の世界のような感じで、常に変化するものとしてある。西洋の個人とちょっと違うのではないかと思います。
駒村氏:以前から私が授業や講演で紹介してきた好きな言葉があり、この本を書いた後に、その言葉は正しかったかなと思いました。後藤新平さん(内務大臣、外務大臣、東京市長などを務めた政治家。関東大震災後の復興計画を立案、実行した)の、「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」という言葉です。玄侑さんがおっしゃったように、迷惑をかけるから助けを求めないということであれば、今の時代ずいぶんそこは変わってきたのではないのかなという気はします。
確かに日本の社会では、自立している個が出てきていない。それが人に迷惑をかけてしまうから助けを求めないという行動になっているとするならば、困った時にはお互い様だということで助けるということは大事じゃないか。この本の表紙にはそういう意図があって、コウテイペンギンの集団の絵をあえて使っています。コウテイペンギンの社会というのが非常に面白くて、南極で寒いシーズンを過ごすときに子育てをするのですが、お互いに円陣を組んで助け合う、暖め合うのです。ただ、一番外側にいるペンギンはずっと外側にいると倒れてしまいます。
したがって、ある時は助けられ、ある時は助けるというように、真ん中にいる親子は外に出てきて風よけになり、そして外に立っていたペンギンは代わりに中に入れてもらう。こういうお互いにしんがりをやっているような面白い行動です。どうしてこういうことができるのかなと不思議な思いもしました。本能なのかどうかわかりませんけれども、このお互いにしんがりをし合うというのは、これからの日本社会に求められるのではないかなという気がします。寒いときは寒い、辛いときは辛いと言っていい社会がいいのではないのかなと思うんですね。