転げ落ちない社会へ~困窮と孤立をふせぐ新しい戦略~

第1部:基調対談

転げ落ちない社会へ向けた働き方、住まい方、所得保障の新しいありよう

宮本 太郎 氏

宮本 太郎 氏中央大学法学部教授

湯浅 誠 氏

湯浅 誠 氏法政大学現代福祉学部教授

1. 『転げ落ちない社会』とは


宮本 太郎 氏

こんにちは。全労済協会主催の「格差・貧困 の拡大の原因と是正施策に関する研究会」で1年 間積み重ねてきた議論が、このたび書籍『転げ落ち ない社会』にまとまりましたので、今日はこの本の主 張を軸に議論をしていきたいと考えています。

今の日本社会は、足元を見ると穴だらけで、いつ、 どこで転んでしまうかわからない状況です。しかも、 政治や行政の動きも、必ずしもその穴をふさいでくれ る流れにはなっていません。それらをどう考えればい いのかという点を議論していきたいと思います。

第1部は私と湯浅誠さんの対談で進めます。湯浅 さんは、社会活動家でありながら、大学の先生でも あります。湯浅さん、大学の先生をされて世の中の 見え方が変わりましたか。

湯浅 誠 氏

大学は週2日しか行っていないのですが、密に学生と関わるようにしています。彼らの世の中の見え方というのは、わかっていたようでわかっていなかったと感じています。私はずっとNPOなどをやってきたので、学生のボランティアとよく接していたのですが、NPOに飛び込んでくる学生は、今の言葉で言う「意識高い系」でした。

そうではない普通の学生は、社会問題と言われてもぴんと来ないし、課題として感じることを聞いても「特にありません」という反応が普通です。でも、もちろんいろいろな悩みを抱えていたり考えていたりするので、そこから見える世界、社会、家族、地域がどうなのかを知りたくて大学の先生をしている面もあり、ものすごく勉強になっています。

宮本 太郎 氏

NPOに飛び込んでくるような意識の高い人もいるけれども、圧倒的多数はそうでないのですね。そうすると、湯浅さんが社会活動家として意気込んで活動しても、なかなか学生とは距離があるわけですね。

湯浅 誠 氏

そうですね。

宮本 太郎 氏

そのように生じている学生との距離感について、どのように考えていますか。

湯浅 誠 氏

正直わからないところもあります。この違いが世代による違いなのか、制度や時代によってもたらされているものなのか、あるいは、性差による違いなのか、純粋な個人差なのか、測定しきれないところがありますよね。ただ、ギャップがあって当然だと思っています。世の中にはいろいろな人がいて、それぞれの窓から社会を見ています。私は、その見方を学ぶという意味で、チャレンジとして、いろいろ教えてもらっていると思っています。

宮本 太郎 氏

湯浅さんの発言に関係している点として、『転げ落ちない社会』の本の主張ポイントとして「3つのステージ」と言っています。 第1のステージは高齢期です。

第2のステージが教育から就労への移行期を中心とした、湯浅さんがギャップを感じると言われた若者の時期です。若者は元気で当たり前みたいなことをわれわれは思いがちだけれども、けっしてそのようなことはありません。冷静に考えてみると、若者の時期というのは、家族を離れ、高等教育を受けて、教育から職業に移行してリスクに満ちているのです。

第3のステージが子どもの時期です。特に貧しい家庭に生まれ育っても、その子が影響を受けないで、基本的な生きていく力を身につけることができるかということが問われる就学前の時期です。この3つのステージが非常に重要だと言っています。世の中は転げ落ちやすい社会で、足元にいっぱい穴があいているけれども、特に人生の3つのステージが危ないということを言っているわけです。

この本のもう1つの主張ポイントは「ちゃんと包摂の場をつくりましょう」ということです。「包摂の場」というのは、働き方でも、住まい方でも、もうちょっといろいろな人が入っていけるような場をつくろうよということです。みんなが働けて、みんながちゃんと住める場をつくらないで、包摂と言っていても意味がありません。元気な人もどんどん倒れていくような職場や、ケアの提供が何もないような持ち家にみんな入って元気で頑張れと言われても、無理です。だから、みんなが参加できる「包摂の場」が必要であるという主張です。



2. 目一杯に生きる若者と長寿が幸せではない高齢者

宮本 太郎 氏

今の話のとおり、若い人たちも自分たちの足元にいっぱい穴があいていて、リスクがたくさんあることはわかっているわけです。ところが、世代間の対立が煽り立てられるようなところがあります。「高齢者が年金を中心として社会保障上は優遇されているから、全世代型の社会保障にしていこう」というようなスローガンも、政府から飛び出たりしています。

ここで、会場の皆さんに聞いてみましょう。本日配布したパンフレットの表紙が緑色で、裏が白色になっています。今は高齢世代のほうが優遇されていると思う方は「緑」を、老後破産、下流老人など、高齢者も大変なことがわかってきたので、高齢世代が優遇されているというのは真実ではないと思う方は「白」を上げてください。

宮本 太郎 氏

会場の意見が分かれました。これは、分かれるぐらい、若い人たちも大変だけど、高齢世代も大変だということでしょうか。しかし、学生たちはそういう怒りとか、改革への意欲をあまり示しません。湯浅さんはそれをどのように見ていますか。

湯浅 誠 氏

先に、高齢者が優遇されているかどうかに関して言及します。何に生活が支えられてきたかという観点で見ると、高齢者の場合は社会保障、若者の場合は企業や家族に支えられてきました。今はその構図が崩れてきたというだけだと思うのです。高齢者と若者に均等に社会保障が対応されていたのが、高齢者にどんどんスライドしてきたというわけではありません。何によって生活が支えられるかという問題だと思っています。

今まで若者は、学校を卒業して主に企業に行き、女性の場合は企業も経由するけれども、基本的に家族に支えてもらえるというあてがあったので、社会保障の対象にはなっていませんでした。その企業とか家族がそこまであてにならなくなって、実は若者は社会保障で支えられていないということが露呈してきた、というだけだと思います。ただ、社会保障だけで見ると、高齢者3経費が相当部分を占めているのは数字的に明らかですから、その意味では若者が社会保障上、割りを食っているということになります。

若い人と話をすると、自分たちは割りを食っているという考えが蔓延しているという感覚はあります。特に日本の社会保障の対GDP比とか、社会保障給付費が総額いくらなのかを知らなくても、感覚とイメージで割りを食っているということは感じています。

だけど、そういうものだから、文句を言っても別にどうにかなるわけでもないので、その中でいかに生きていくかという考えなのだと感じているように受け止めています。それは生活保守主義とか、昔からある言葉のようですが、ちょっと昔とは違うのではないかと思うようになってきました。今の若者は、ものすごく関係性に疲れています。家族もかつてほど強くありません。離婚も増えていて、いろいろあるけど両親は離婚しないのがスタンダードという世の中ではなくなってきています。そうすると、子どもが家族の担い手としてかなりの部分を支えているわけです。親の機嫌を取ったりして、家の中の平穏をどうつくるかで日々頭を悩ましていたりします。そういうところでものすごくエネルギーを使っているので、子どもながらに大人っぽく、友人関係も、家族関係も、いろいろある中で、みんなそれぞれやっているんだよなという感覚を持っていると思います。

同じように、総理大臣だっていろいろ大変な中で頑張っているという感じで政治も見るわけです。そうすると、そういうのを飛ばして自分の意見を主張する人は、複雑な関係性を考えずにものを言っているような感じがして、気に入らないという感じになります。「出る杭は打たれる」というような表現はありますが、それとはまた少し異なり、自分たちの苦労を飛ばしてものを言っているような感じが気に入らないというインテリ批判です。

宮本 太郎 氏

その話は非常に興味深いです。携帯電話LINEの「既読」がすぐ付くようになど、そうしたネットワーク上の関係を維持したり、私のゼミの学生の関係を見ても、一言一言にすごく気を遣っていると思います。とても繊細ですよね。家に帰ると家族の関係も頭の痛いことになっていて、全体的に目一杯のところで生きているのに、その目一杯のところを飛ばして社会のあり方そのものにどうこう言うのはリアルに感じないということですね。

湯浅 誠 氏

そうです。私が小さいころは、家の経済状況など心配したことはないし、両親が離婚するのではと心配したこともありません。唯一、兄が障がい者だったので、それにまつわる問題はありました。しかし今の子どもは、もっともっと家族の維持に大変な思いをしているということを強く感じています。

宮本 太郎 氏

さきほど、世代間の対立とか制度の関わりという話もありましたから、ここで、『転げ落ちない社会』の前提になっている認識からお話をしたいと思います。

2017年前半に話題になりましたが、カリフォルニア大学などの調査で、2007年生まれの日本人の半分以上が107歳まで生きるらしいということです。そして2014年生まれの人は109歳になるだろうということです。これまでは、20歳から65歳まで働いている時間が10万時間、65歳から85歳まで起きている時間が10万時間で、65歳が折返点だと言われていました。しかし、107歳まで生きると、起きている時間は20万時間になるので、65歳は折返点ですらなくなりました。これは、ある意味では夢にまで見た長寿社会なのですが、幸せな感じは広がりません。

なぜ幸せ感がないかというと、1つは困窮問題です。単身・高齢女性の半分は、このままいくと生活保護だというシミュレーションもあるわけです。マクロ経済スライドという年金制度は、経済に連動するだけでなく、平均余命にも連動するので、長寿がそのまま経済的なダメージになったりもします。ゆとりある老後を過ごすためには、毎月生活費が34万9,000円(生命保険文化センター調査)かかるとされていますので、60歳から25年生きるとして1億円かかるわけです。

ここでも会場に聞いてみます。この34万9,000円を退職後に工面できる見当がついている方は「緑」、そんなものあるわけがないという人は「白」を上げてみてください。
ー会場の参加者はそれぞれの考えに従いパンフレットの緑または白を上げて意思表示ー

宮本 太郎 氏

9割は「白」ですね。それだけゆとりある老後のためのお金の工面は問題です。

それから、もう1つの理由は、孤立です。本のサブタイトルでも「困窮と孤立をふせぐ」と言っています。この孤立問題は、主に男性が深刻な状況です。内閣府の調査では、単身の高齢の男性で、会話の頻度が2週間に1回以下という人が17%でした。

今は沈黙消費で、スーパーに行っても、コンビニに行っても何もしゃべりません。多少「温めますか」「はい」という会話はあるかもしれませんが、まともな会話はほとんどなく、孤立が広がってしまっています。

さらに、アンチエイジングという考え方で、20歳から65歳まで10万時間で、65歳から107歳までが20万時間なのに、後半の20万時間は、体力、容貌、能力が、ひたすらマイナスという価値観になっているわけです。アメリカの女性雑誌が「アンチエイジング」という言葉をやめたと宣言しましたが、10万時間対20万時間になっているのに、20万時間は全部引き算の人生にされてしまっているのです。

いずれにせよ幸福感は広がらないのですが、他方で、現役世代は現役世代で大変なことになっています。給付型の奨学金ができましたが、大学を卒業するころ、多くの若者の奨学金が200~300万円になっており、それだけの借金を背負って学校を出ていくのです。就職も、3割ぐらいは非正規雇用で働きます。非正規のままいくと、30代前半で結婚できる割合は3割を切ります。そして結婚できたとしても、子どもを生み育てるのにとんでもないお金がかかるわけです。子どもを1人育てるのに、いくらかかると思いますか。

湯浅 誠 氏

子ども1人当たり、教育費で1,500万円だったと思います。私立に行ったら3,000万円といいますよね。また、お母さんが離職したり、パートで非正規になったりすることによる損失費用を入れると変わってくると思います。

宮本 太郎 氏

機会コストですね。これを入れると2億1,000万円ぐらいになるわけです。だから、子ども1人に値札を付けるとすると、養育費と合わせて2億5,000万円です。高齢世代も大変だけれども、現役世代もこれだけ大変だということです。でも、学生たちは割りを食っていると思っていて、声は出さないわけです。