転げ落ちない社会へ~困窮と孤立をふせぐ新しい戦略~

第1部:基調対談

5. 新しい働き方


宮本 太郎 氏

次に働き方です。さきほど申し上げたように、地域では人手不足が深刻な一方で、働きたくても働けない人たちが増えている。就労支援ということが最近言われるようになりましたが、みんながもう少しそれぞれの都合に合った形で働けるようになるといいと思うのです。

いま「働き方改革」と言っているものがありますが、これは大企業で働いている人たちが、効率的に働いて残業手当もあまり使わないで済むようにするみたいな話がメインになっています。それとは違った形で、もっといろいろな人たちがそれぞれ働けるような仕組みづくりができればいいということです。これについて、何か見通し、ビジョンというのはありますか。

湯浅 誠 氏

これこそ社会的包摂の考え方の最も基本的なところを反映していると思います。就労困難と言われる人たちの就労支援をどれだけやっても、会社が変わらないかぎり受け皿はつくれないですよね。そういう意味で、受け止める社会の側がそれに対応できるような状態にしていく必要があるわけです。

ユニバーサル就労で頑張っておられる「風の村」(千葉県を拠点にした社会福祉法人)も、こういう考え方を職員の間で共有し、就労困難な人たちが働けるスペースを自分たちでもつくっています。そこに受け止めていきながらステップアップを図るという会社の理解が必要だし、一般的に就労困難な人たちを受け入れるときに、こういう部分だったらこの人たちにもやってもらえる仕事の切り出しということを、ちゃんと認識することも必要だという気がします。

それが会社にとってもメリットがあるという形でWin-Winになることが就労支援の条件であり、肝であると思います。 就労支援というと、就労困難な人に面接の仕方を習わせ、履歴書の書き方を工夫させ、うまく企業に雇われるように仕上げていくという支援の方法になっていますが、それだけだと限界ははっきりしているので、ユニバーサル就労の話などは、会社自体が変わるという面のほうが実は大きいと思います。

この動きが一部に広がっていることは確かですが、将来的にどんどん広がっていくかというと、そうでもないと思います。大きな社会のトレンドとしては、人手不足関係はAIやロボットの活用で解消しようという方向に経営的な注力がいっているので、いろいろな人が働ける職場に転換していく方向にすんなりとはいっていないと思っています。

宮本 太郎 氏

「一億総活躍」と言われている中で「トランポリン」という言葉がよく出てきています。それは、セーフティネットがハンモックみたいにみんなをぶら下げているだけだったので、それをトランポリンにして、もう1回跳ね戻して就労に結びつけていかなければいけないというものです。 しかし、この綱が細くて、短くて、ちゃんと歩けるような代物ではないので、気がつくとみんな落っこちてしまうのです。それが「総活躍」だとすると、これは非常に空しい営みになってしまいますよね。だからこそ支える・支えられるの二分法を置いておくのは大事なのだけれども、支えられる側に「みんな支える側に回れ」という号令でやっていくのはどうなのでしょうか。「トランポリンでちゃんと仕事に戻っていけ」と言われても、なかなかできないわけです。

「ユニバーサル就労」という言葉が出ましたが、湯浅さんが言われたように、職場の中で経験豊かな人がやっている仕事の単純な部分を切り出して、いろいろな人に携わってもらうという方法ですよね。富士市ではユニバーサル就労条例もできて、こういう働き方が地域経済にとって大事なのだという宣言をしています。

それから、「新しい働き方」といったとき、何か特別な制度が要るのかどうかということを含めて考えてみると、これは私と湯浅さんの共通の友人である東近江の野々村光子さんがやっている障がい者の働き・暮らし応援センター“Tekito- (テキトー)”という団体があります。行政に「テキトーなんて名前付けるんじゃない」と電話で言われたらしいですが、野々村さんは断固としてテキトーがいいんですと言ってはねのけたそうです。

適当というのは適切ということですよね。一人ひとりの身の丈に合った、無理のない働き方というのはなかなか難しいけれども、それをどうやってつくっていったらいいのか。職場で綿密な設計図を描き直して、ややこしい職務配置の転換図が要るかというと、そんなものは必要ないということです。適当な働き方をつくっていくには適当でいいんだというのが野々村さんの哲学です。

例えば、障がい者の指定相談の窓口とか、生活困窮者の自立相談支援の窓口とか、そういうところに人が来たら、彼女はすぐ車に乗せて、知り合いの中小企業の社長のところをどんどん回るそうです。中小企業は人手不足であることは間違いないので、野々村さんが連れてくると、わけありだということはわかっているけれども、「いいよ」という二つ返事で雇ってくれるわけです。しかし、2日目、3日目になると、朝から来ないとか、15分で済ませてほしい洗車を8時間ぐらいかけてやるとか、いろいろな問題が起きてきます。そうなったときに、それは想定内ということで、野々村さんと当事者と社長が集まって、ここで働き続けるためにはどんな形にすればいいかを考えます。そこで、障がい者雇用の就労継続支援A型とか、既存の制度がいろいろあるので、それが必要になればそれを持ってきましょうという形で働き方を設計していく。

今、このような営みは全国で広がっています。豊中市では無料職業紹介事業を行政が行い、そこでいろいろな求人をしています。それをハローワークみたいにオープンにはしないで手元に持っていて、相談に来た人と一緒に求人先まで同行して、野々村さんがやったような形で、この人に合った働き方をどうやってつくっていこうかということをしています。中小企業を含めて地元が嫌がるかというとそのようなことはなく、むしろ大歓迎なのです。ちゃんと誰かがバックアップしてくれて、人を連れてきてくれるからです。このような可能性がいま、広がっているわけです。



6. 新しい補完型所得保障


宮本 太郎 氏

こういう就労だとどうしても所得は少ないですよね。ここで出てくるのが「AIだからBIだ」という話です。BIというのはベーシックインカムのことです。AIで仕事がなくなるから、ベーシックインカムにしましょうといろいろな人が言い始めているわけです。

新しい住まい方と合わせて新しい働き方が出てきていますが、所得はやはり十分でありません。 さきほど言った2人で400万円、1人だと250~300万円ぐらいまではとてもいかないですよね。そうなってくると、新しい住まい方と合わせて新しい働き方に加えて、補完型の所得保障というのが要ると思うのです。そういう中で、AIだからBI、つまり仕事がなくなるからベーシックインカムみたいな議論が出てきていることは、とても疑問です。

それから、ベーシックインカムについて、いま社会保障に114兆円ぐらい使っており、必須の医療サービスを除いて77兆円ぐらい、これを国民の数で割ると1人あたり5万円ぐらいだから、全員に5万円支給するというような計算が出されています。そうすると生活保護はどうなるのかという話になるわけです。湯浅さんはこのベーシックインカムはどのように見ていますか。

湯浅 誠 氏

ベーシックインカムというのは、要はスティグマ(差別・偏見)のない生活保護だと思うのです。あるいは、児童手当を所得制限なしに渡すということだったり、かつて紛糾した子ども手当だったりするわけです。ベーシックインカムという言葉がみんなの夢を投げ込むブラックボックスとして機能している間はいいと思うのですが、現実の政策に落とし込もうとすれば、結局、日本で言えば生活保護とか児童手当をどういうふうに評価するかということと結び合わせて考えざるを得ないと思います。また、それが今までどう扱われてきたかと言えば、ここで説明するまでもないような扱われ方なので、私はあまり現実的なものとは受け止めていません。

宮本 太郎 氏

ベーシックインカムと一言で言うけれども、金額や条件によって、全く違ったものになってしまうんですよね。だから、私はベーシックインカムと言わないで、あえて「補完型の所得保障」という言い方をしています。そして、それは、これまでの障がい者福祉や生活保護のように働けないということをさんざん確認したうえで、じゃあしょうがないから働いて稼いでいる人たちの最低水準、その人たちから見て「自分は働いているのに」と言われないような低レベルの生活費を丸ごと出しましょうという代替型のものではなくて、新しい住まい方、新しい働き方を提供したうえで、それで足りない部分を、目標とした水準にいくかどうかはわかりませんが、住宅手当や家族手当などで補完するといったものです。難しいですが、給付付き税額控除で補完するといったやり方で保障するのが、この「補完型の所得保障」の中身です。

湯浅 誠 氏

教育費を低減するとかですよね。大事なのは、所得は増やすというのはとてもわかりやすいですが、実際問題としては、支出を下げることも含めて可処分所得をいかに増やすかという方向で、政策は組み合わせていくべきではないかと思うのです。所得を上げるということだけだと、トリクルダウン(富裕層が豊かになることで、貧困層にも富が行き渡るという理論)に期待して、成長率2%、3%にしてという議論にどうしてもなるので、可処分所得にもっとフォーカスすべきじゃないかと思います。

宮本 太郎 氏

その違いはどこで大きくできてきますか。

湯浅 誠 氏

支出です。高支出であれば、高収入であっても手元にお金は残りませんし、低支出であれば、そんなに所得が高くなくても手元にお金は残ります。収入が上がらないということだけを見るのではなくて、支出を下げる工夫が政策的な検討の課題だと思いますので、そこの組合せで労働と社会保障一体で見るということじゃないかと思います。



7. 転げ落ちない社会への潮流


宮本 太郎 氏

最後です。湯浅さんが学生と話していて感じるギャップについてお話いただきましたが、支えられる側と決めつけられた高齢者もしんどいし、支える側と言われてしまっている現役世代、特に学生などは諦めの境地になっています。そこで、支える・支えられるという分け方はやめようということです。

若者たちが関係性で疲れていると言いましたが、足元にあいている穴の脅威を感じていないわけではない。高齢者も、とても年金だけでやっていけるわけはないと感じている。こうした中で、われわれが設計図を描いてきた新しい働き方、住まい方、補完型の所得保障といった仕組みに転換していくきっかけ、流れというのはどうですか。

湯浅 誠 氏

難しいですね。「社会保障と税の一体改革」などが繰り返し出てきているので、トータルビジョンとしてはないわけではない。しかし、そのとおりに世の中は進みません。私がずっと活動をしてきて思うのですが、例えば、今年の4月から文部科学省が中学校の給食費を補助する就学援助を、中学校に正式に入る前に支給できるようにしましたが、それはとても画期的なことです。 これはいわば、市民になる前の人に市民サービスを提供するようなものなのです。形式的に見たらとてもハードルが高いのですが、踏み切りました。

文部科学省に踏み切った理由を聞いたら、制服のリユース活動などが全国で少しずつ生まれてきたから、そういうのを見て行政として何かできることはないかなと思ったからだそうです。皆さんは、制服のリユースの活動を誰がどこでやっているか、ご存知でしょうか。これは全国各地でかなり小規模で行われている活動です。制服は学区や学校ごとに違うので、新たに入学する困っている家庭があると、卒業した子の家に当たって制服をリユースしていくというような活動です。実績は1ヵ所あたり数件とかです。一つ一つの活動の規模で見れば、世の中全体を動かすには小さすぎて、そんなことをして何の足しになるのか、もっと大きな制度を変えなければ意味ないじゃないかと怒られるような活動です。でも、結局はそれが文部科学省を動かしたわけです。

大学無償化についても、議論や評価はいろいろありますが、私が驚いたのは、すべての政党が選挙公約に掲げて、どのレベルになるかはともかくとして、無償化に一部入っていくことになったからです。世の中で「さすがにそこをやらなくてはいけないだろう」という雰囲気がそれなりに広がらないと起こり得ないことですよね。

10年前だったら考えられないようなことだったと思います。私が希望を持つのはそういうところです。どういう理想的な制度設計をするかというのは私には手に余るテーマですが、一つ一つの穴に気づいた人が手をかけて、実数としては5件か7件でも、それが周囲に伝わったり、どこかでそれを拾い上げてくれる人がいて、世論になり、制度化されていく。このプロセスにしか希望がないというか、そういうところに本当の意味があると思っています。そのプロセスを大事にすることを私は一番強調したいと思います。

宮本 太郎 氏

ありがとうございます。今度の選挙でも、ここまで各党や政府の間で無償化という言葉が氾濫したのは、何かの表れですよね。しかし、例えば、いま幼稚園業界が窮していますが、無償化政策が業界丸ごとの救済策みたいになっても困るわけです。良質な就学前の教育を本当に貧しい子どもまでちゃんと行き渡るようにしていかなければいけないのですが、そういう方向の無償化になるのか、業界救済策になるのか、これはちゃんと見届けなければいけないと思います。でも、そういうところに何らかの変化、社会の反映というものが見られて、それをどう引っ張り上げていくのかということだと思います。
ここで第1部を終わります。ご清聴ありがとうございました。