転げ落ちない社会へ~困窮と孤立をふせぐ新しい戦略~

第1部:基調対談

3. 日本型の生活保障「三重の傘」のミスマッチ


宮本 太郎 氏

貧困率はどうなっているのでしょうか。子どもの貧困率は改善されたと言われていますが、これはいいニュースですか。

湯浅 誠 氏

条件を付ければいろいろありますが、貧困率というのは、基本的には上がるよりは下がったほうがいいです。2.4ポイント下がったといえば48万人ですから、基本的には歓迎すべきことだと思います。

宮本 太郎 氏

ところが素直に喜べないところもあります。貧困率というのは、所得の中央値、平均的な所得の半分以下の世帯で生まれ育った子どもの数の割合です。この中央値が名目値ではあまり変わっていないが、実質値では下がってしまっているわけです。そう考えると、実は子どもの貧困率が改善されたと言い切れない部分もあります。しかも、児童扶養手当の所得の部分が上がったということで、平均4~5万円ずつ減らされてしまっています。

湯浅 誠 氏

私はホームレス支援から始めましたが、ホームレス問題は日本型生活保障の仕組みの影の部分だったと思うのです。私自身はそれを「3つの傘」とか、「三重の傘」と表現してきました。

私の父は37歳で家を建てました。新聞社の社員で、会社の共済ローンで建てられたわけです。会社は父を定年退職まで雇うつもりがあったからローンを組んでくれたわけです。これから払う給料から天引きすればいいわけなので、とてもいい利率で借りることができました。会社のおかげで37歳にして、家を買うことができたわけです。そのときの企業の福利厚生は住宅関係費が半分ぐらいを占めていましたが、非課税で、国がバックアップしていました。その意味では、会社は国に庇護され、父は会社に庇護され、そして私は父に庇護されるという形になっていました。国の傘があって、企業の傘があって、男性正社員の傘があって、その傘の下に妻子がいる、そのような形でした。私はその中で育ってきたので、特に不自由は感じませんでした。

ホームレスの方と道端で酒を飲みながら、なぜこうなってしまったのかと聞くと、皆さん失敗談としていろいろ話してくれました。正社員だったけれど喧嘩をして辞めてしまったとか、離婚してしまったとか、うまくいかなかったときに酒に走ってしまったとか、個人のストーリーとして語られました。私はそういう個人のストーリーを社会構造の中で理解するという習慣と訓練を受けて育ってきたので、ホームレスの方々の話もその中で考えるようになりました。そうすると、「3つの傘」がきれいに重なり合うようになっていて、その外にいる人には何も効いていないということがわかってきました。

傘の外を見てみると、失業保険は利かない、生活保護はスティグマ(差別・偏見)が強い、家族が支えてくれるというけれど支えてくれる家族はいない、誰も対応してくれないうえに、自分がしっかりしないからそうなったんだろうと追い討ちをかけられ、まさに踏んだり蹴ったりなのです。それで「すべり台社会」ということを言うようになりました。傘の外に出てしまうとストンと落ちていくということを思ったのです。

そこで、この状況を解決するために、傘を広げるのがいいのか、傘を溶かすのがいいのかと考えました。まずは傘を広げる、つまり、みんな正社員にするということです。みんなが国の傘の下に入り、正社員の傘の下に入り、企業の傘の下に入ればいいというのが傘を広げるという選択肢です。でも、全員が正社員になるということはあり得ません。かつては正社員男性と非正規女性が結婚することでこの仕組みが成り立っていましたから、ジェンダー問題を考えるとうまくいかないだろうし、国の財政状況とか、グローバリズムなどを考えてもうまくいかないでしょう。

そうすると、傘を溶かすほうが望ましいのではないかということになります。つまり、傘の中と外の差をなくすということです。同一労働同一賃金みたいな話になれば、非正規労働者もいわれのない不利益は受けなくなります。また私が前から言っているのは、仮に非正規の夫婦でも共働きで年収400万円で、子どもが望み、能力があるなら大学まで行かせられるような、そういう収入と支出の構造で暮らせる社会システムをつくる必要があるということなのです。

そういう観点で考えると、今は高度経済成長期にできた「三重の傘」のシステムからの転換期で、まだ終わっていないと思っているわけです。相変わらず穴だらけの状況ですが、問題そのものには気づかれてきていると思うのです。十何年か前に貧困の問題を言い出したころはものすごく否定されましたが、どこかの時点で、それが否認から混乱を経て認知に変わっていきました。

今はこういった貧困問題があるということはしっかり認知されていますが、だからといって、どうしたらいいかははっきりしていなくて、むしろまったり受容しているところがあります。「まあそういう世の中だしね」という感じで受け止められていると感じます。それでも、給付型奨学金とか、大学授業料無償化とか、子どもの貧困問題についての大きな社会的理解の広がりはあるわけなので、そういうところでは、芽と希望は感じているので、そっちに懸けたいなと思っています。

宮本 太郎 氏

これから、その傘をどうしていくのかという議論をしたいと思います。湯浅さんの言う「三重の傘」、私的に言うと「日本型の生活保障」の仕組みが変わっていくプロセスが長く続いているということですが、私は、続いているのだけれども裏目に出ているという感じがしています。

裏目に出ているというのは、これまでの傘の仕組みの中では、いったん会社に迎え入れたらきちんと面倒を見るし、容易にクビにはできない。しかも、濱口桂一郎さんの言うところのジョブ型(職務内容・地域が指定された雇用契約)ではなくてメンバーシップ型(仲間型、さまざまな仕事を任される)で、何でもこなせるどこに配属させても文句を言われないジェネラリストを育てていくし、雇用しようとします。でも、世の中はわけありの人が増えているから、そのような人はなかなかいないわけです。結局、これまでの仕組みが中途半端に続いていることによって、地域では、人手不足と、働きたくても働けないという状況が同時並行しているのです。

居住もそうです。ヨーロッパでは家賃補助の仕組みとして住宅手当が社会保障制度としてありました。しかし日本にはそういった制度はなく、日本の住宅手当は会社の福利厚生の中に入っています。そこで、日本はしょうがないから「借地借家法」で、いったん入居させた人を簡単に追い出せない、家賃を勝手に上げてはいけないと、借家人を守る義務を家主に課したりしたわけです。その結果、いま空き家がどんどん増えています。家主は家を貸したいのに、高齢・単身の人とか、障がいを持っている人とか、ひとり親世帯の人とかを入れるとあとが大変だということで、入れたいけど入れない。このように、「三重の傘」の中であった働き方のシステムと住まい方のシステムが、今は裏目に出ているわけです。

湯浅 誠 氏

私が言った過渡期というのは、そういうことも含めてです。子育てと教育と住宅は働いてもらった給与で買うものだという日本型の生活保障の仕組みとか、「三重の傘」の仕組みの中で出来上がった常識がまだ残っているということです。そういう中で動いていて、でも実態はどんどん変わっているから、いまおっしゃったような一方での過剰と一方での不足が同時に起こるようなことが制度的に起こっているのではないでしょうか。



4. 新しい住まい方


宮本 太郎 氏

この本『転げ落ちない社会』では、そのように裏目に出ている仕組みの中で、もうちょっと間口の広い働き方、住まい方はどうかということを提起しています。これまで日本の住まい方というのは、所得が高くて、ケアの必要性が少ない人たちの持ち家・私的居住と、所得が低くてケアの必要性が高い人たちの施設居住と分極化していたわけです。

今おおごとになっているのは、所得はそんなにないし、場合によっては老親の介護などケアの必要性が一定あるような、真ん中のゾーンがどんどん広がってきているということです。こういうゾーンの居住がなんとか廉価に確保されて、そのうえで年収300万円ぐらいの仕事があるかどうか。仮に300万円までいかなくても、補完型の所得保障、住宅手当、家族手当、給付付き税額控除などとの合わせ技で、なんとか300万円確保できる。この形ができると、転げ落ちないで済むのではないかなと思うのです。

湯浅 誠 氏

わかります。私は夫婦共働きで400万円と言ったのですが、そこに居住のコストが下がったり、補完的な所得保障が給付付き税額控除みたいな形で入ったり、あるいはひとり親の場合は児童扶養手当が入ったりして、上乗せ、あるいは支出の減免があったりすると、可処分所得がある程度増えて、教育費も下がれば、子どもが大学まで行けるかもしれない。そのようなイメージです。それをもっと制度・政策に落とし込むと、きっと図のような形になると思うのですが。

図:地域型住居とは?

宮本 太郎 氏

住宅の話から入ると、こういう方向への政策展開が可能かもしれません。最近、私は政府の審議会の委員も務めていて、この居住の問題については、10月25日から施行された「新しい住宅セーフティネット法」というのがあるわけです。まず居住を確保することが大事だということです。家主は家を貸したくても心配で貸せないというケースに対して、この制度では、単身の高齢者、障がいをお持ちの人、ひとり親世帯の人、国土交通省のいう「住居確保要配慮者」に家を貸すことを拒まない家主を、都道府県が登録するというものです。

これも貧困ビジネスとしてひどいところに押し込めてはだめで、ちゃんと住宅の質とか、1人当たりの居住面積などもチェックしたうえで登録をするわけです。そして登録された世帯に対しては、家賃の一部を補助する。それも高齢者、障がい者、ひとり親世帯に直接お金を出すのではなくて、家主に家賃の一部を補助するとともに、改修費なども補助するとしています。それともう1つ、今日本で働くことや住まうことで弱者が排除されている大きな理由が、身元保証なのです。居住にあたっても入居債務保証が必要で、誰かを探さなきゃいけないのに、それがなかなか見つからないのが住宅弱者です。実は就労にあたっても、すごく大きなハードルになっているのがこの保証人なのです。

いずれにせよ、新しい住宅セーフティネット法というのは、そのように真ん中のゾーンになんとか形をつくっていこうという一歩になっているのかなと思います。かつて国土交通省から「サービス付き高齢者向け住宅」というのが登場しましたが、実はサービスなど何もなく、サービスは全部自分で買わなければいけなかったということでした。

湯浅 誠 氏

そうですね。ホームレス問題をやっていたので、こういう問題はもともとありました。2001年に「もやい」という団体をつくって、保証人提供と生活支援をやってきました。当時はかなり特定された人たちの話だとみられていましたが、それがどんどん広がり、今や市場を形成するようになり、今回、このようにセーフティネット法の改正に至ったことは非常に喜ばしいことだと思うのです。ただ、準市場に任せていくということになると、そこでの濃淡が出てきます。まさに 宮本さんがずっと指摘されていることですが、費用の制約がかなり大きくなると、準市場の悪い面が出てくるというか、それこそ貧困ビジネス化しかねない面もあります。だから、そこは慎重な政策が求められます。改正前の住宅居住支援協議会を各県につくったときも、機能していたものがあまり多くはなかったので、まさにこれからよく見ていかなければいけない分野かと思います。

宮本 太郎 氏

居住支援協議会というのを皆さんは聞いたことがあるでしょうか。行政、家主などの不動産関係者と生活支援を行っているNPOなどが協議会をつくっているわけです。新しい住宅セーフティネットというのも、居住支援協議会が高齢者、障がい者、ひとり親、それぞれに適合的なケアをそれぞれ調達してきてくださいという制度設計になっているのですが、そういうことができる自治体は少ないです。居住支援協議会も、全国で20ヵ所までいっていないぐらいだと思います。

湯浅 誠 氏

1,000万円払うからつくってくれと国が言っていたくらいでしたね。

宮本 太郎 氏

居住支援法人という新しい法人も居住支援協議会をベースにつくらせるのですが、そこでお金を出してなんとかつくってもらおうという流れになってきています。
新しい住まい方の展望について、年越し派遣村の村長だったキャリアなども含めて、何か見えますか。

湯浅 誠 氏

年越し派遣村のときにやったのは、1人ずつに、そんなに立派じゃなくてもいいから雨露しのげる場所を確保していくということです。今注目されはじめているシェアリングハウスとか、そういうものに結びつく動きではなかったわけです。むしろあのころの動きとは別なところからシェアリングハウスなどが出てきていて、そっちのほうは多世代交流を促進するようなものになっています。東日本大震災の公営住宅もかなりそこを意識してつくられたものがたくさんあります。縁側交流を進めるような公営住宅とか、住民交流、多世代交流、多世代が同居するというものが芽として出ているので、そこは期待しています。

この間、ハーバードを出た学生に会いましたが、卒業後、シェアハウスの普及をソーシャルベンチャーとしてやっていきたいということで、今、実験的に渋谷に40人の大家族で住んでいると言っていました。

そういうのは出るべくして出てきている動きだと思います。労働における新しい働き方、居住における新しい住まい方というのでしょうか。東京ではあまり多くありませんが、関西のほうでは「住み開き」みたいな動きもあるようです。 「住み開き」とは、自分の家を開放して、シェアハウスにしたり、居場所にしたり、カフェにしたりすることです。それは週1回だったり、毎日だったり、いろいろです。昔の長屋はもともとそういうコミュニティ機能としてあったわけで、それをもう1回取り戻すという形で「住み開き」が1つの運動になっていますが、そういうのは望ましいことだと思います。

宮本 太郎 氏

長屋という話が出ましたが、日本の家族とか住まい方は血縁主義と言われがちだけれども、儒教国家に比べると日本はわりと非血縁社会で、血縁のつながっていない人たちがなんとなく一緒にやっていくという伝統のほうが、むしろ強いんですよね。

湯浅 誠 氏

私は大学院の修士で江戸の研究をやっていました。江戸時代は血縁には全くこだわっていなかったです。家の商売を守るためなら、息子がいなければ簡単に養子を取っていました。まさに非血縁家族主義だと思います。

宮本 太郎 氏

そういう伝統があるんですよね。だからむしろ憲法に家族と出てくるかもしれないけれど、その柔軟で、融通の利く家族の伝統こそ、いま甦らせなければいけないのかもしれません。
さきほど長屋の話が出ましたが、湯浅さんは最近行ってきたんですよね。

湯浅 誠 氏

私が行った鹿児島市のナガヤタワーは、「ナポリの子ども食堂」という子ども食堂もやっています。ここをつくったのは医者で、その娘さんとお会いしたのですが、「子ども食堂」では住民交流することが条件で、人を募集しているそうです。交流したいと言って入ってくる人がそんなにいっぱいいるのか聞いてみると、結構いっぱいいるそうです。しかし、その分管理コストが高くなるために家賃が若干高めになってしまうということでした。

宮本 太郎 氏

そこがさっき言った地域型居住のモデルとしてピッタリはまりきらないところです。しかしその分、ケアが住民相互の支え合いでできていて、里親の下で暮らす子どもたちの住居となり、発達障がいの子どものデイセンターになり、夕方になるとお年寄りが来て、そこで自分たちの仕事としていろいろお世話をしたりして、自己有用感も高められます。学生は高齢者世帯のごみ出しを手伝うと家賃が安くなるそうです。本当はひとり親世帯も入れたかったのだけれども、家賃を低くしきれない部分があったというのが限界なんですが、こういう非血縁家族の伝統に沿ったような住まい方というのが出てきていると思います。この本が提起している「新しい住まい方-地域型居住」をどのように広げていくかということです。