震災から2年、現状の課題は

例えば、我々が東北地域の医療やバイオ等、あらゆるものをにらんで、被災地にもう一度医療を再生しなければいけないということになると、医者がそんなにたくさんいるわけではないので、東北大学などを中核にしてITを使って遠隔地医療をすることになります。遠隔地で医者がいなくても、例えば救急の患者が出たときには、ドクターヘリコプターなどのようなもので運べる仕組みも連関させながら、毛細血管のようにする。被災地の隅々に最先端の医療ができる医者を配置することはできないけれども、東北大学に中核拠点をつくり、毛細血管の先のところで診療活動をするドクターたちとネットワーク型で東北の医療を再構築したらいいと、誰もが思い付くでしょう。こういう種類の構想はいいアイデアだということで、いくらでもお金が付く。復興資金が大量に落ちていくわけです。
ところが、現状2年たってどうなったか。結果的に東北大学の医療関連のお金が多く付くものだから、最先端のコンピューターシステムに入れ替えてスタンバイしているけれども、毛細血管のほうはどうかというと一向に動かない。このように、現実は非常に不思議なことになっているのです。これは医療の分野だけではない。

私が非常に心を砕いて、本気で踏み込みたかった「復興支援隊構想」というのがあります。これは、本当は万の単位でやりたかった。ヒントは1929年のアメリカの大恐慌です。アメリカは万の単位で復興支援隊をつくり、若い人たちが経済の再生に立ち向かえるようなプロジェクトを生み出し、大きな予算を組みました。ある意味では失業対策でもあるのですが、例のTVA(Tennessee Valley Authority)のような大型のダム工事を含め、いろいろな産業復興の現場に若い人たちを注入して、育て、その若者が自分の次の仕事を見つけたり、次の展開に生かしていくことで、アメリカの再生に大変成功したプロジェクトがあるのです。

今の若い人は、公共心が高い人が結構いるから、ボランティアにあれだけ多くの人たちが参加したわけです。ところが、冷たい言い方ですが、ボランティアはしょせんボランティアなのです。がれき処理をしてみても、結局、ただ働きでやっていることというのは、たとえ本人にとっては大変世の中の役に立った仕事であり、いい経験だったということにもなるし、助けられた人はありがたかったということになるけれども、それで終わってしまうことが多い。持続可能性がない。
きちんとお金をもらい、責任ある仕事としてやることがすごく大事なわけです。たとえ500円でもお金をもらってやることには、ものすごく責任が伴う。ボランティアとか、NPO、NGO活動で気を付けなければいけないところは、どんなことでもうまくいかなくなることがあるわけで、その瞬間に、しょせんこれは金をもらってやっていることではないからという話になるわけです。

要するにしっかりとした若い、本当に復興に志を持った人が地域に入っていき、農業生産法人でも水産法人でもいいので、実際に額に汗してプロジェクトに参加して、一緒になって戦ってみる。非常に手ごたえを感じて、その場に残る人がいるかもしれないし、そこでの経験をベースにまた自分の次の仕事を展開する人もいるかもしれない。それはどちらであれ、日本の将来にとっていいことです。そういう文脈での復興支援隊というものを大がかりでやりたかった。宮城はそういう形でいくつかのトライアルをいま現実に行っています。私がチェックして聞いてみても、真面目に本当によくやってくれています。

―宮城の復興応援隊ですけれども、2月3日仙台の「東北発 ニッポン元気会議」で講演された中で紹介されていらっしゃいますが、分かりやすく簡単にどういうことをされているのでしょうか。

これは県の予算に国の予算を加え、それぞれの地域の復興に向けて意欲的に取り組む人材を内外から募って「復興応援隊」を結成し、一定期間、地域住民の活動支援を行うものです。東京あたりから行って復興支援隊に入っているというよりも、地元出身の人が圧倒的に多いようですが、まだ私が言っているような万の単位などという話ではないです。100人、200人単位の話のレベルでいま動いていますが、それでもいい。

つまり、本当に志が高く、地元の復興プロジェクトに参画して、一定のお金を得ながら自分の体験としてそれを吸収し、そこの土地に居ついて、それを支え続ける人生を取るのも結構だし、そうでないのも結構という形で、宮城は一つずつそういう話を踏み固めています。コンセプト・エンジニアリングまではやるのだけれども、実際に現場を支える人は、やはりそこに参画していく人たちのそれぞれの志ですから、こういう話は難しい。